いちご大福や味噌まんじゅうなどで人気を博し、県外から訪れる人も多いという和菓子店が安中市にある。創業から149年を迎える老舗で、松井田町の閑静な住宅街に店を構える「たわらや」だ。そんな同店で、日々菓子製造に励む小黒友輔さん(31)に、店の歴史や地域への思い、銘菓の看板を背負う覚悟などを伺った。
たわらやさんの創業年や当時の話を聞かせてください。
友輔さん:1874年(明治7年)に小黒利三郎が松井田町で「俵屋菓子舗」を創業したのが始まりです。それ以前の家系を辿ると新潟の新発田から群馬へ移り、利三郎の父:勇七が製粉業を営んでいたとか。そこから菓子作りに発展し、先代が生業にした。利三郎は親の仕事を継がずに松井田の菓子屋で見習いをしたのち和菓子屋を始めたようです。
そこからどんな風に店の歴史は流れていったのですか?
友輔さん:2代目の直次が継いだようです。夏などの菓子が売れない暇な時期は好きな農作業に精を出していたそうです。その頃に酒まんじゅうが誕生したと聞いています。その後、私の祖父である敏久が3代目を継ぎ、菓子作りを本格化させました。祖父は本当に精力的で仕事熱心。和菓子屋としての礎を確立してくれたと思います。うちの看板商品である味噌まんじゅうも祖父が作ったんですよ。
3代目の敏久さんはどんな形で味噌まんじゅうを考案されたのでしょうか?
友輔さん:旅行や写真が趣味だったので、出掛けた先で見かけた風景などを菓子作りに生かしていたようです。味噌まんじゅうも2代目が旅先で出合った菓子がモチーフとなっていて、食べてみたらあまり美味しくなかった。中身を茄子とおかず味噌を合わせた郷土料理の鉄火味噌のように炒めたらもっと美味しくなるのではと考え、一緒に改良を加えたそうです。惣菜まんじゅうとしては県内でも先駆けだったことから登場後は話題を集め、夏の売れない時期にも販売ができ、旧店舗を改装した際に売り出しの目玉商品として業績を大きく伸ばしてくれました。
その味噌まんじゅうが今でも人気というのはすごいですね。どんなところにこだわっていますか?
友輔さん:季節を大切に茄子が美味しい時季に合わせたり、契約農家からこだわりのしそを仕入れたりと多々ありますが、一番は皮にこだわったようです。企業秘密なので詳しく話せませんが、材料や配合など試行錯誤を重ねて完成させたと聞いています。実は原価などを理由に一度、皮のレシピを変えたことがあるんです。でも「味が変わった」と常連のお客様から指摘を受けてしまって……。それくらい完成度の高い味になっている、本当にすごいことだと思います。
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