日本料理の代表ともいえる寿司。群馬県内にも有名な寿司店は多いが、その1つに挙げられるが前橋市の「初日総本店」ではないだろうか。135年の歴史を持つ同店は、いつの時代も独自の経営スタイルを貫き、群馬の寿司文化を牽引してきた。そんな同店に、今までの道のりや店を経営する上で大切にしていることなどを女将の諸田由美子さんに伺った。
ご創業は1887年(明治20年)とのことですが、創業当時のお話を聞かせてください。
女将さん:創業当時の話はよく分かりませんが、「初日寿司」と名乗り始めたのは1953年(昭和28年)のことです。私が生まれる前年のことなので、そこははっきりと覚えているんです。その前は「錦」と呼ばれる小料理店をしていました。寿司屋に業態変更したのは1909年(明治42年)からです。でも明治、大正、昭和は激動の時代。戦争もありましたから、寿司や和食に限らずラーメンなど色んな食べ物を提供していたみたいですよ。
お寿司の提供を本格的に始めたのが2代目の鈴木秋次郎さんだったそうですね。
女将さん:秋次郎は私の祖父。私とはちょうど70歳離れているんです。祖父はお婿さんとして鈴木家にやってきて、そこから川越へ寿司職人になるための修行に出たようです。そこで、当時まだまだ広まっていなかった江戸前寿司を習得し、群馬に持ち帰ったと聞いています。初日と名前を変えた頃には寿司一本になったようです。
店はもともと六供町にあったのですか。また、店の名前である“初日”の由来は何だったのでしょうか?
女将さん:店はもともと前橋の街なか(本町)にありました。その後、私が生まれた頃に高崎へ移ったそうです。とても短い期間でしたが。当時、一番よく出ていたお酒の名前が“初日”だったから、それを店名の由来にしたと聞いています。後にそのお酒が手に入ったので飲んでみたけど、全然美味しくなかった(笑)。でも、祖父にとっては美味しいお酒だったのでしょうね。お店の名前にするくらいだもの。
その後、また前橋に戻られたんですね。
女将さん:高崎から戻り、連雀町(現在の前橋市本町二丁目)に新しく店を構えたんです。1階が店、2階が宴会場、3階が自宅という感じで、駐車場もない狭い店でした。その後、私の父・鈴木徳治が3代目として店を引き継ぎ、私が10歳の頃(1964年・昭和39年)に「有限会社 初日」を設立しました。
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